日中は暖かく、日が照れば少し暑く感じる今日この頃。
先日、
『もう夏なのでは?』
と錯覚(錯乱?)して、爽やかな写真を撮ってみました!
いや、かなり夏っぽいけど、まだ早い。笑
さて、
たまには趣向を変えて、語ってみることにしよう。
「知識で語るな。感性で語れ。」
とは、私の持論だ。
人が何かに感動した時、ソコにあるのは“知識”だろうか、“感性”だろうか。
素晴らしい音楽に出会えた。
美しい景色に出会えた。
美味しい料理を味わった。
これら感動とは、自らの“感性”によって引き起こされる経験である。
事前に知識として知っていたとしても、
その想像を超えた先に感動はあるのだ。
例えば、誰かとワインを嗜むとして、
「やはりボルドーはタンニン感があって、味わい深い。まぁ、爽やかな酸味を感じられるブルゴーニュも好きなのだがね。今回のような肉料理には、ボルドーが正解だよ。特にメドックのものはメルローが…」
などと語られたなら、あなたは素直にどう感じるだろうか。
『こいつ、酒よりも自分に酔って、ワインの香り以上に鼻につくな…』
と、なるかもしれない。
ただ知識をひけらかす行為は、自分の感性に自信が無いと捉えることも出来る。
常に正解を求める。自分を優秀に見せたい。
そんな心理が働いているのかもしれない。
過去、私自身がそうだったように。
私は最近、『うっせえわ』という曲を聞いて、
素直に「かっこいい!好きだな!」と感じた。
歌詞をしっかり聞いた訳でもないが、メロディや声に惹かれたのだ。
歌詞なんて知らんが、とにかくカッコイイ!
その後、歌詞も聞いてみたところ、
激しく共感を覚え、一層好きになった。
音楽だって、理屈や理論じゃない。
コード進行がどうの、転調がどうの、
歌詞がギザギザハートの子守唄だの、
そんなものは知らん。
ただカッコイイ。
それでいいのだ。
どこかの時代に生きた誰かが決めた理屈や理論に縛られずに、
感じた事を自由に楽しもう!
知識とは、他者の言葉に過ぎない。
自分の感性は、誰のものでもない。
「このワインうまい!」
「なんか深みを感じる!」
「渋くて好き!」
誰かにとっては間違っていたとしても、それで良いのだ。
それに対して他人がどうこう言ってきたとしても、
自分はそう感じたのだ。うっせぇわ!
Σχόλια